歴史シアター

日本最古の飛行機を設計 江戸時代のエジソン、国友一貫斎の夢

国友一貫斎が残した「阿鼻機流 大鳥秘術」=長浜市提供(国友一貫斎家資料)
国友一貫斎が残した「阿鼻機流 大鳥秘術」=長浜市提供(国友一貫斎家資料)
発見された「阿鼻機流 大鳥秘術」の詳細図=長浜市提供(国友一貫斎家資料)
発見された「阿鼻機流 大鳥秘術」の詳細図=長浜市提供(国友一貫斎家資料)

 江戸時代後期、鉄砲(火縄銃)の一大産地だった近江・国友村(滋賀県長浜市)の鉄砲鍛冶、国友一貫斎(くにとも・いっかんさい、1778~1840年)は、国内で初めての反射望遠鏡や空気銃(気砲)など科学技術史を塗り替えるような画期的な発明をしたことで知られる。200年を経て、その生家から、望遠鏡の製作に使った道具やレンズの半製品などが発見され、改めて天才的な仕事ぶりが明らかになった。現存するものでは国内最古とされる飛行機の設計図を残している一貫斎だが、その製作方法を記した詳細図も見つかり、一貫斎の天空への強い思いが伝わる。(編集委員・上坂徹)

精度の高い望遠鏡

 一貫斎は江戸滞在中の文政3(1820)年、尾張犬山城主、成瀬正壽(まさなが)の江戸屋敷で、オランダから持ち込まれたイギリス製のグレゴリー式反射望遠鏡を見て、その精巧さに驚き、国産の同型鏡の製作を目指すようになった。しかし、実際の製作作業に取り掛かったのは、それから12年後の天保3(1832)年だった。鏡を使って光を集め、接眼レンズで拡大して対象を見るという反射望遠鏡。鏡の素材や鋳込み方法、ガラスレンズの研磨などに苦労しながら、1年がかりで完成させた。当時、屈折望遠鏡は国産化されていたが、一貫斎の反射望遠鏡は桁違いの性能で、イギリス製のものをしのぐほどだった、という。