歴史シアター

悲劇のプリンス・大津皇子を悼み建立 奈良の加守廃寺

山上に大津皇子が葬られたとされる二上山
山上に大津皇子が葬られたとされる二上山

 謀反を計画したとして捕らえられ、非業の死を遂げた天武天皇の第3皇子・大津皇子(おおつのみこ)(663~686年)。その霊を慰めるために建立した、と文献にある「掃守寺(かもりでら)」について、古代寺院の研究で知られる小笠原好彦・滋賀大名誉教授(考古学)が、その場所を大津皇子が葬られたとされる二上山の麓にある「加守廃寺」(奈良県葛城市加守)であると明確にする説を打ち出し、注目を集めている。このほど出版した自著『検証 奈良の古代仏教遺跡』(吉川弘文館刊)で、根拠を詳述しているが、着目したのはこの地で出土した六角形の建物基壇。多角形基壇は「個人を弔うための廟(びょう)」とされる点を強調し、大津皇子のための寺と断じている。  (編集委員・上坂徹)

 『日本書紀』によると、天武天皇が亡くなったのは朱鳥元(686)年9月。その1カ月後、天武天皇と大田皇女の間に生まれた大津皇子による謀反が発覚。即位式をしないまま政務をとっていた持統天皇(天武天皇の皇后、大田皇女の妹)により、大津皇子は捕らえられ、翌日、訳語田(おさだ、奈良県桜井市)の自邸で、「賜死(しし)」(死刑を命じられて自死)した。