古代東海道とみられる道路遺構が出土した滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡。同時代の官道の規模を大きく上回る幅16メートルという高規格で、少なくとも平安時代初頭(8世紀末~9世紀初め)には機能していたことは確認されているが、それ以前から主要道路として使われていた可能性も浮上する。その道路とは。地理関係から、古代史上最大の内乱・壬申の乱(672年)の舞台のひとつになったと『日本書紀』に記される「倉歴道(くらふみち)」だったとの見方が出されている。 (編集委員 上坂徹)
古代東海道とみられる道路遺構が出土した滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡。同時代の官道の規模を大きく上回る幅16メートルという高規格で、少なくとも平安時代初頭(8世紀末~9世紀初め)には機能していたことは確認されているが、それ以前から主要道路として使われていた可能性も浮上する。その道路とは。地理関係から、古代史上最大の内乱・壬申の乱(672年)の舞台のひとつになったと『日本書紀』に記される「倉歴道(くらふみち)」だったとの見方が出されている。 (編集委員 上坂徹)