歴史シアター

発掘された古代の「東海道」 幅16メートル、「壬申の乱」の舞台か

近江富士と呼ばれる三上山を望む高野遺跡の発掘現場=滋賀県栗東市
近江富士と呼ばれる三上山を望む高野遺跡の発掘現場=滋賀県栗東市

 古代東海道とみられる道路遺構が出土した滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡。同時代の官道の規模を大きく上回る幅16メートルという高規格で、少なくとも平安時代初頭(8世紀末~9世紀初め)には機能していたことは確認されているが、それ以前から主要道路として使われていた可能性も浮上する。その道路とは。地理関係から、古代史上最大の内乱・壬申の乱(672年)の舞台のひとつになったと『日本書紀』に記される「倉歴道(くらふみち)」だったとの見方が出されている。                    (編集委員 上坂徹)

高規格の官道

 高野遺跡は縄文時代から近代にかけての集落遺跡で、滋賀県の圃場(ほじょう)整備事業に伴い、滋賀県文化財保護協会が発掘調査。その結果、幅約1メートル、深さ20~50センチの2本の溝跡が平行して東西方向に延びているのを確認した。溝跡の間隔は約16メートルで、溝跡からは奈良時代から平安時代初頭に使われていた須恵器や土師(はじ)器、瓦の破片などが出土した。溝にはさまれた空間には同時代の建物遺構などが確認されていないことから、同協会は平安時代初頭を中心に機能した幅16メートルの道路と判断した。