
幕末の京都で池田屋事件などで名をあげた新選組局長、近藤勇(1834~68年)。その最期はあっけなく、長年にわたりその首の行方も謎に包まれている。
慶応4(1868)年4月25日、新政府軍にとらえられた近藤は、板橋の刑場で斬首となった。首は、白木綿一反で巻かれ、アルコール漬にされて京都に送られた。
なぜ、江戸から京都に送られたのか。かつて新選組に在籍していた伊東甲子太郎らを近藤らに斬殺された高台寺党は何としても、近藤を京都三条大橋東詰の河原にさらし、恨みを晴らそうとした。明治新政府は近藤の首を町衆の前にさらすことで、幕府の終焉(しゅうえん)をもくろんだ。