歴史シアター

令和典拠の「梅花の宴」舞台 調査で分かった大伴旅人邸の現在地

「令和」ゆかりの「大宰府政庁跡」(中央)。区画上部の左側が月山東地区官衙跡=5日、福岡県太宰府市(松本健吾撮影)
「令和」ゆかりの「大宰府政庁跡」(中央)。区画上部の左側が月山東地区官衙跡=5日、福岡県太宰府市(松本健吾撮影)

 元号「令和」の典拠となった万葉集の「梅花の宴」が開かれたのは、帥(そち、長官)として大宰府(福岡県太宰府市)に赴任した大伴旅人(665~731年)の公邸とされる。では、その場所は。いまなお特定されていない旅人邸の所在地について、大宰府跡の発掘調査に携わってきた赤司善彦・大野城心のふるさと館館長(考古学)が、大宰府政庁の東側に隣接した「月山(つきやま)東地区官衙(かんが)」とする論考を、研究誌「福岡地方史研究58号」(花乱社)に発表し、注目されている。大宰府と同時期に造営された平城京の設計思想、庭園を思わせる石敷きの溝や柵列といった遺構の出土状況から想定した。  (編集委員 上坂徹)

 歌人で公卿(くぎょう)の大伴旅人が大宰府に赴任したのは神亀4(727)年ごろ。その3年後の天平2(730)年1月13日、旅人は自邸に、大宰府や九州各地に在する高官、僧、陰陽師(おんみょうじ)らを集めて、梅の花をテーマに歌を詠み交わす饗宴(梅花の宴)を開いた。その中には歌人として名高い山上憶良(やまのうえのおくら、筑前守)や東大寺と並ぶ三戒壇のひとつ、観世音寺を開創した僧・満誓(まんせい、笠沙弥)らの顔もあった。

 この時に詠まれた短歌32首は、最古の歌集「万葉集」に「梅花の歌」として収録されている。その「梅花の歌」の序文に、「帥老(そちのおきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、宴會を申(の)ぶ。時に、初春の令月にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」とあることから、「令和」の典拠とされた。