歴史シアター

秀吉が愛した戦国時代の「スーパー銭湯」 有馬に遺構

出土した蒸し風呂施設(手前)。上部には推定復元した湯屋を置く=太閤の湯殿館内
出土した蒸し風呂施設(手前)。上部には推定復元した湯屋を置く=太閤の湯殿館内

 国内最古級の名湯として知られ、「日本書紀」にも登場する有馬温泉(神戸市北区有馬町)には、一帯を領有した戦国の覇者、豊臣秀吉(1537~98年)が建てた御殿(湯山=ゆのやま=御殿)があった。疲れを癒やすために、しばしば訪れた秀吉だが、近畿一円に未曽有の被害を及ぼした慶長伏見地震(1596年)で倒壊。建て替えた御殿は、徳川の世になり、消滅した。それが、400年後の阪神大震災(1995年)に伴う発掘調査でよみがえった。地下から出土した再建御殿の蒸し風呂や岩風呂などの遺構。秀吉は地震などで荒廃した有馬の復興に尽力、「有馬三恩人」に数えられている。が、その事績もまた、地震によって確認されたのである。 (編集委員 上坂徹、写真も)

国内最古級

 六甲山系の北麓に広がる有馬温泉。いつごろから、温泉となったのかは不明だが、「日本書紀」には「有(あり)間(ま)(有馬)の湯」の名が見え、舒明天皇3(631)年、舒明天皇が行幸し、86日間滞在したと記している。鎌倉時代の日本書紀注釈書「釈日本紀」では、大化3(647)年に、孝徳天皇が82日間立ち寄ったとしている。

 織田信長から有馬方面の領有を認められて、自領としていた秀吉だが、文献では、最初に有馬温泉を訪れたのは天正11(1583)年8月のこと。その年の4月に対立していた柴田勝家を賤ケ岳の合戦で破り、大坂城の修築に手を付け始めたころだった。戦乱による疲労を癒やすためだったのか。その後もしばしば、有馬温泉を訪れており、公式文書に残っているだけで、文禄3(1594)年までに計9回を数えている。