西論プラス

聖徳太子没後1400年 コロナ禍に“和の精神”を 論説委員 山上直子

法要では舞楽も行われた=4月3日、奈良県斑鳩町の法隆寺(寺口純平撮影)
法要では舞楽も行われた=4月3日、奈良県斑鳩町の法隆寺(寺口純平撮影)

 世界遺産の法隆寺(奈良県斑鳩町)で今月3~5日、聖徳太子(574~622年)1400年の遠忌(おんき)法要(御聖諱=ごしょうき=法要)が厳かに営まれた。

 日本仏教の祖とされる太子だけに、僧侶や楽人らが参列して舞楽も奉納され、境内は華やか。マスク姿の参拝者らが手を合わせる姿に、いまなお篤い信仰を集めていることを実感させた。

 聖徳太子といえばだれもが知る飛鳥時代の偉人だ。冠位十二階、遣隋使の派遣など、教科書で習ったその業績を覚えている人は多いだろう。

 「聖徳太子は飛鳥時代のインテリ青年。理想に燃えた思想家だったのではと思います」という社寺担当、奈良支局の岩口利一記者。それを出発点とし今月から朝刊(大阪本社版)で「和をつなぐ 聖徳太子1400年」の連載が始まった。

 さて、テーマは2つ。