沖縄県は戦後75年の節目となる「慰霊の日」を迎えた。悲惨な沖縄戦をどう語り継ぎ、未来の教訓としていくか。戦争世代からは、正しく後世に伝えることの難しさを指摘する声も上がっている。
「(砲弾が飛び交う中での)患者収容はほんとに命がけだった。四人一組で担架で収容するのだが、ヒュルヒュルドカンとくると、各自あわてて身を伏せるので、患者をころげ落とし、『オイ、しっかり頼むよ』とどなられつつまた拾い上げて担架に乗せ、本部の壕まで運ぶのであった…」
沖縄戦で動員された看護隊の一つ、県立首里高等女学校「瑞泉(ずいせん)学徒隊」の生存者らの文集につづられた一節だ。編集した瑞泉同窓会会長の新元(にいもと)貞子さん(94)は「あの戦場を生死をかけて駆け回った学友たちの、あり
のままの姿を後世に伝えることが、生き残った者たちの役目」と語る。