戦後75年 資本主義(1)

プラザ合意後「2度目の敗戦」 外圧が生んだバブル経済

 人や企業が自由に経済活動を営む「資本主義」は戦後、大きく変容しつつも世界経済を発展させてきた。しかし、「貧富の差」は広がり、長期戦を余儀なくされている新型コロナウイルスとの闘いで、世界的に貧困層ほど死亡率が高くなる格差が改めて浮き彫りになった。第3部では資本主義の課題と行方を検証する。

「円高大臣」竹下登のひとこと

 米ニューヨーク市民の憩いの場、セントラルパークを眼下に望む名門プラザホテル。バブル期に日本のゼネコンがオーナーになったこともある白亜のホテルで1985(昭和60)年9月22日、そのバブルの端緒となる会議が開かれた。

 華やかな装飾で彩られた「白と金の間」に日、米、西独、英、仏5カ国の蔵相と中央銀行総裁が集まった。参加者を驚かせたのは日本の蔵相、竹下登の発言だった。

プラザ合意からバブル崩壊、アベノミクスまで 戦後の世界金融市場をめぐる主な動き

 「(過去の蔵相時に20円超の円高ドル安に見舞われた)私は『円高大臣』と呼ばれておりまして円高にならないと蔵相を卒業できない」。これを通訳が「首相になれない」と誤訳したこともあり、日本が自国に不利な円高を積極的に受け入れたと各国は目を見張った。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください