政界徒然草

「小沢政局」の幕開け 最後の戦いか悪あがきか 

国民民主党の小沢一郎衆院議員(左)に、合流への協力について謝意を伝える立憲民主党の枝野幸男代表=25日、国会内(千田恒弥撮影)
国民民主党の小沢一郎衆院議員(左)に、合流への協力について謝意を伝える立憲民主党の枝野幸男代表=25日、国会内(千田恒弥撮影)

 昨年末からくすぶり続けた野党再編の動きは、国民民主党が19日の両院議員総会で、解散して立憲民主党と合流することを決めたことで決着がついた。気づいてみれば主役はやはりこの政治家だった。「一兵卒」と自称してやまない国民民主党の小沢一郎衆院議員、78歳。「小沢政局」の幕開けだ。

 ことが動いたのは8月6日だった。小沢氏は立民の枝野幸男代表、福山哲郎幹事長と国会内で会談し、最大の障壁となっていた新党の名称について「思い入れはよく分かるが、天下、国民のためぜひ決断してほしい」と投票による党名決定を要請し、最終的に立民側は承諾した。

 小沢氏が頭を下げたのは、国民の玉木雄一郎代表が「代表とともに党名も民主的な手続きで選ぶべきだ」と強く求めていたためだ。ここは自分の出番と踏んだのだろう。

×   ×   ×

 公党の党首になることで旧民主党勢力の中で世代交代を進めた玉木氏が、小沢氏の出番を作り、時計の針を逆戻りさせてしまったのは皮肉としか言いようがない。その上で新党に合流しないことを決断するなど、結末は国民にとって実に分かりにくいものとなったが、その是非はひとまず置く。

 リベラル色が強く、護憲派議員も少なくない立民は「立憲主義」を重んじており、党内最大グループを率いる赤松広隆衆院副議長は党名堅持を強く求めていた。立民が柔軟な姿勢に転じたのは、党勢がジリ貧状態にあることが大きいが、何と言っても重鎮の赤松氏を納得させるには、小沢氏が動くしかなかった。