外交安保取材

日韓友好に尽力 2つの国で戦った韓国空軍大佐 崔三然氏

韓国空軍時代の崔三然氏。ネームプレートには「副総長 空軍大佐 崔三然」と書かれている(遺族提供)
韓国空軍時代の崔三然氏。ネームプレートには「副総長 空軍大佐 崔三然」と書かれている(遺族提供)

 9月25日、日韓両国を知り、その関係友好に尽力した元韓国空軍大佐が92歳でこの世を去った。水戸陸軍航空通信学校(水戸市)出身の崔三然(さい・さんぜん)氏。冷え込んだ日韓関係を憂い、日本で講演や執筆を重ねてきた。先の大戦、朝鮮戦争と2つの戦争を体験し、帝国陸軍で学んだ教えを胸に、誰よりも「日本人の誇り」にこだわった。知人らが「日本人以上に日本人」とたたえた崔氏の旅立ちを多くの人がしのんだ。

 「当時、朝鮮の地で生まれ、日本の教育を受け、日本人の精神性と日本人が作り上げた文化を尊敬してやまなかった父が、この日本で人生の最後を迎えられたのはとても幸せなことだったように思う」

 東京都内で9月30日に営まれた崔氏の葬儀で、崔氏の次女、鶴山氏は参列者を前にこう語った。

 崔氏は1928(昭和3)年、北朝鮮の咸興(ハムフン)市に生まれた。日本が朝鮮半島を統治していた昭和18年に日本陸軍少年飛行学校に入校し、20年3月に陸軍航空通信学校を出た後は加古川教導航空通信団に配属され、陸軍伍長として終戦を迎えた。

 戦後は韓国に戻り、韓国国際大で英文学、韓国中央大学院で行政学などを専攻した。1950(同25)年の朝鮮戦争の勃発で韓国空軍に入り、大佐まで上り詰めた後に退役。その後は韓国経済界での要職を歴任し、韓国工業基盤の発展に貢献した。

 日韓を行き来していた崔氏は、日本国内で講演や雑誌への寄稿などを重ね、戦後、日本が韓国に謝罪を繰り返すことなどに疑義を呈してきた。