政治デスクノート

天安門事件の「外交失敗」を認めない人たち

宇野宗佑首相(手前左)が出席したアルシュ・サミット全体会合=1989年7月、パリ(共同)
宇野宗佑首相(手前左)が出席したアルシュ・サミット全体会合=1989年7月、パリ(共同)

 「歴史にイフ(もしも)はない」と言われるが、「あのとき、ああしていれば…」と思うことは、よくある。1989年6月4日に中国・北京で発生した天安門事件に関する昨年末公開の外交文書を見て「あのとき日本が毅然(きぜん)としていれば、今の中国の横暴は抑制されていたのでは…」と暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

 中国共産党は民主化を求める民衆を虐殺したのに、日本は事件直後から制裁を主張する欧米と一線を画して中国を擁護し、中国の国際社会復帰を主導した。

 今や世界2位の経済大国となった中国だが、89年当時の国内総生産(GDP)は日本の約7分の1だった。国防費は公表ベースで現在の50分の1程度で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を含む東シナ海や、南シナ海への軍事進出も現在ほど顕在化していなかった。

 自国民を軍事力で蹂躙(じゅうりん)した中国のその後の軍拡を日本が結果的に手助けした形だ。別の言い方をすれば、日本が欧米と足並みをそろえて中国に厳しい制裁を科していれば、軍拡の芽を摘むことができていたかもしれない。