昭和天皇の87年

「天皇は処刑」米世論33% 勝者が裁く“戦争犯罪”とは…

画=千葉真
画=千葉真

第202回 GHQ(2)

 昭和20年8月29日、昭和天皇は《内大臣木戸幸一をお召しになり、一時間十分にわたり謁を賜う。その際、自らの退位により、戦争責任者の連合国への引渡しを取り止めることができるや否やにつき御下問になる》(昭和天皇実録34巻71~72頁)

 昭和天皇は当時、開戦を止められず、敗戦に至ったことに天皇としての「不徳」を感じていた。右の“身代わり”発言も本心から出たものだろう。だが、いわゆる「戦争責任」に明確な規定はない。勝者が敗者を一方的に裁く、それが「戦争責任」だ。

 木戸は昭和天皇に、《連合国の現在の心構えより察するに、御退位されても戦争責任者の引渡し取り止めを承知しないであろうし、(中略)御退位を仰せ出されることにより、あるいは皇室の基礎に動揺を来した如く考え、その結果、共和制を始めとする民主的国家組織等の議論を喚起する恐れもあり、十分慎重に相手方の出方も見て御考究の要あるべき旨を奉答する》(同巻71~72頁)

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 GHQが第1次戦犯指名として開戦時の首相、東条英機とその閣僚らに逮捕令を発したのは9月11日である。戦争の全責任を一身に引き受ける覚悟でいた東条だが、「戦争犯罪者」扱いには納得せず、逮捕の直前、自身の胸を拳銃で撃ち抜いた(※1)。しかし、わずかに心臓を外れ、東条を殉教者にしたくない米軍医師団によって命を取り留めてしまう。