戦後75年、日本統治下の朝鮮半島で慕われた日本人医師の姿を今に

韓国南部の小鹿島に残るハンセン病治療に尽力した日本人院長、花井善吉氏の碑=2015年撮影藤本巧「寡黙な空間」収録
韓国南部の小鹿島に残るハンセン病治療に尽力した日本人院長、花井善吉氏の碑=2015年撮影藤本巧「寡黙な空間」収録

 日本統治下の朝鮮半島にあったハンセン病療養所の院長で、朝鮮人患者から慕われた日本人医師がいた。戦後、現地で日本に関する多くの建築物や碑が破壊される中でも、医師の顕彰碑は患者によって守られた。戦後75年の今年、両国に残る事実を伝えようと、写真家の藤本巧さん(70)=奈良県生駒市=が、統治時代の建築物を撮影した写真集「寡黙な空間」を出版した。(石川有紀)

藤本巧さん
藤本巧さん

 「日本統治時代に、異なる民族を尊重する考えを持って信頼関係を築いた人々がいたことを伝えたい」

 藤本さんは韓国に残る統治時代の建築物を歴史的資料として記録しようと、平成23年から撮影を開始。27年に日本が韓国南部の離島に建設した朝鮮唯一のハンセン病療養所「小鹿島(しょうろくとう)慈恵医院」(現国立小鹿島=ソロクト=病院)を訪れた。その敷地内にあったのは高さ約3メートルの顕彰碑。日本語と韓国語で記された説明板で花井善吉(1868~1929年)を知った。