昭和天皇の87年

万歳三唱して処刑台に立った7人 陛下は泣いておられた…

画=千葉真
画=千葉真

第216回 東京裁判(2)

 東京・市ケ谷の旧陸軍士官学校大講堂で極東国際軍事裁判(東京裁判)が開かれていた頃、法廷の内外には、依然として天皇訴追の動きがくすぶっていた。戦勝11カ国で構成する極東委員会は1946(昭和21)年4月、天皇不起訴の方針を固めたが、裁判長のウエッブ(豪州)や判事の梅汝●(=王へんに土の下に方、右に攵)(中国)らは、少なくとも証言台に立たせるべきだと考えていたのだ(※1)。

 昭和天皇が証言台に立てばどうなったか-。首席検事のキーナンが言う。

 「マックアーサー元帥が余に語つたところによれば、もし天皇が証人として出廷させられたならば、天皇自身はわれわれが証拠によつて見出した彼に有利な事実をすべて無視し、日本政府のとつた行動について自ら全責任を引受ける決心があったという。すなわち証拠によつて天皇は立憲国の元首であり、法理上、また職責上必ず側近者の補佐に基いて行動しなければならなかつたことが証明されているが、それにもかゝわらず、天皇はもし出廷させられたとしたら、このようなことを自己の弁解に用いるようなことは一切しなかつたであろう…」

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