「猖獗」「火葬場に棺の山」…新聞記事で振り返る100年前のスペイン風邪(上)

 世界中で感染拡大が続く新型コロナウイルス。国内でも首都圏などに緊急事態宣言が発令され、外出自粛やさまざまな業種への休業要請が行われているが、改めて注目を集めているのが約100年前にパンデミック(世界的な大流行)が起きた「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザだ。感染者は世界人口の25~30%にのぼり、4000万人が死亡。国内でも当時の人口の4割を超える2800万人が感染し、死者は38万人に達したとされる。猛威をふるった未知の感染症に、かつての日本社会はどう対峙(たいじ)したのか。当時の新聞報道などを基に振り返る。(橋本昌宗)

「米騒動」の最中に…

 《感冒(かんぼう)各地に蔓(はびこ)る 九州、四国に亘(わた)り益々(ますます)猖獗(しょうけつ)》

 当時東京で発行されていた新聞「時事新報」の1918(大正7)年10月22日付の紙面を見ると、こんな見出しの記事が掲載されている。山口県の中学校や大分県の小学校、香川県の師範学校などで100人以上の規模で感冒(風邪、呼吸器系の疾患)が拡大、休校となっていることを伝えたものだ。

 同年11月に4年間続いた第1次世界大戦が終結。戦場にならなかった日本では大戦景気で成金が出現する一方、米価高騰による「米騒動」が発生していた。同年9月に「平民宰相」と呼ばれた原敬が首相に就任。男子普通選挙制度導入の是非をめぐる議論も本格化しており、大正デモクラシー真っ盛りの時期に当たる。

 交換手を通じて固定電話にかけるか電報、手紙ぐらいしか連絡手段のない時代。インターネットはもちろん、テレビもない。人々が情報を得る手段は、主に新聞だった。

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