日本検疫の「原点」 死者30万人以上、開国で流入のコレラと明治日本

横浜検疫所に残る「一号停留所」。洋風の木造建築として登録有形文化財に指定されている=横浜市金沢区
横浜検疫所に残る「一号停留所」。洋風の木造建築として登録有形文化財に指定されている=横浜市金沢区

 いまだ収束が見通せない新型コロナウイルスは、感染症対策で重要な空港や港での「検疫」の難しさを改めて浮き彫りにした。日本で近代的な検疫制度が確立されたのは明治時代だが、そのきっかけは30万人以上の死者が出たコレラの流行だった。当時の日本は、近代国家への道を歩み出したばかり。不平等条約を盾に外国船に検疫を拒否されるなど苦労もある中、今日まで続く検疫システムの礎が築かれた。(橋本昌宗)

近代化の「副作用」

 日本で記録に残る古代の感染症といえは、約1300年前の奈良時代に大流行し皇族や政権を握っていた貴族も死亡した天然痘だ。その後も周期的に蔓延(まんえん)し人々を苦しめてきたが、江戸末期~明治初期に流行したコレラは、未知の感染症だった。

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