朝廷と豊臣家の一体感示した“幻の城”京都新城 秀吉死後の栄枯盛衰を物語る 

京都新城の堀から出土した金箔瓦。京都新城の証明となった=12日、京都市上京区の京都御苑内
京都新城の堀から出土した金箔瓦。京都新城の証明となった=12日、京都市上京区の京都御苑内

 京都御所を中心とした京都御苑(京都市上京区)内の京都仙洞御所から、「京都新城」の堀跡とその石垣が出土した。豊臣秀吉が生涯最後に築いた城として存在は知られていたが、これまで遺構が出土していなかっただけに、研究者からは実態解明の大きな一歩として期待が集まっている。

 京都新城という呼称は史料用語ではなく、史料には太閤御屋敷や太閤御所などとして記載されている。

 今回調査した京都市埋蔵文化財研究所の南孝雄調査課長は「堀の石垣の積み方や出土遺物から、謀反で切腹した秀吉のおい、秀次の居城・聚楽第(じゅらくだい)を破却後に、秀吉が築いた京都新城で間違いない」と説明する。

 京都新城は聚楽第に代わり、秀吉が対朝廷用として息子、秀頼に残した城だったという。同志社女子大の山田邦和教授(考古学)は「内裏の向かいに築いた城は、朝廷と豊臣家の一体感を全国に示したもの」と指摘する。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください