旧ソ連軍の侵攻阻止 樋口季一郎中将の評価進む 北海道に記念館

第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(樋口隆一氏提供)
第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(樋口隆一氏提供)

 先の大戦終戦時に旧ソ連軍との戦闘を指揮した旧陸軍の樋口季一郎中将(1888~1970年)を「北海道への侵攻を阻止した」と評価する動きが広がっている。樋口中将は満州(現中国東北部)でユダヤ難民の救出にも尽力したが、その足跡は知られておらず、有志が今秋にも北海道石狩市に記念館を開設する。

 昭和20年8月9日、日ソ中立条約を破って満州に侵攻した旧ソ連軍は、日本の降伏表明後も各地で戦闘を続けた。樋口中将は司令官として千島列島や南樺太での自衛戦闘を決断した。

 千島列島北東端のシュムシュ島(当時は日本領の占守(しゅむしゅ)島)では日本軍が優勢に展開。双方に多数の死傷者を出した戦闘は数日で終わり、日本軍は武装解除に至った。多くの日本人捕虜がシベリアに抑留されたことからも無用な戦いだったとの指摘もあるが、近年は旧ソ連軍の北海道侵攻を阻止し、日本がドイツのように分断される事態を防いだとする見方が強まっている。

 ハルビン特務機関長当時の昭和13年には、ナチスの迫害から旧ソ連・満州国境に逃れてきたユダヤ人を満州国に受け入れ、脱出ルートを開いた。多くのユダヤ人を救った外交官の杉原千畝(ちうね)氏になぞらえ、「もう一人の杉原」とも呼ばれる。

 樋口中将の孫で音楽学者の樋口隆一・明治学院大名誉教授(74)が今春刊行した遺稿集「樋口季一郎の遺訓」によると、樺太の戦闘をめぐり、満州の関東軍が「なぜ停戦せぬか」と打電してきたと明かしている。隆一さんは祖父の人物像を「人道主義者とされるが、何が正しいかを見極めて判断する客観主義。戦死者への贖罪(しょくざい)の気持ちが強かった」と描く。