命と経済の狭間で… “自粛”政策は続けるべきなのか  福井義高

緊急事態宣言を受け、各方面で休業や自粛の要請がなされたが…=4月22日、大阪市中央区
緊急事態宣言を受け、各方面で休業や自粛の要請がなされたが…=4月22日、大阪市中央区

 人命はなにものにも代えがたいとはいうけれど、現実に人間社会は、天寿を全うしたとはいえない一定数の死が確率的に生じることを前提に動いている。たとえば、日本では1年に4千人を超える人が(道路)交通事故で亡くなっている。後遺症に苦しめられ時間が経ってから亡くなった人を含めればもっと多いだろう。一方、自動車交通がもたらす経済的恩恵は巨大である。その結果、今日では世界で最も人命優先の国のひとつとなったこの日本でも、大戦時の特攻死者合計に匹敵する数の人々が、毎年、交通事故で亡くなることが「許容」されているのである。

福井義高氏
福井義高氏

 いま日本で続けられている、「自粛」という名の実質的な行動制限が、初期の時点での新型コロナウイルスの爆発的な感染蔓延(まんえん)から人命を守るための、ごく短期的な緊急措置として行われるのであれば、そのマイナス面はそれほど大きくないかもしれない。しかし、こうした強力な行動制限が長期にわたるということになれば、それがもたらす経済的なダメージは深刻なものとなる。実際、「営業自粛・休業で、もうやっていけない」といった批判的な声も大きくなってきている。

 このまま現在のような行動制限を続ければ、たとえ政府が補償や給付金支給を行ったところで、経済活動の低迷で、生活困窮者が激増し、社会は混乱に陥り、コロナウイルス感染以外の理由で命を落とす人も増えるだろう。それゆえに、他国では経済活動の再開が急がれ、日本でも「出口戦略」なるものが語られている。

 だとすれば、コロナウイルス対策においては、人命を尊重するからこそ、コロナウイルス感染抑制だけに目を奪われるのではなく、人命と経済的豊かさのバランスを考慮することが重要になる。

 2018年には、インフルエンザで約3千人が亡くなっているけれども、大きな経済的損失を伴う自粛要請は行われなかった。それではなぜ、コロナウイルスの場合、日本では罰則を伴わないとはいえ、緊急事態宣言の下、政府がこれまでに例を見ない行動制限を実施することが正当化されるのか。

 それは、感染防止対策を行わないと、インフルエンザや交通事故どころでない死者が生じると想定されているからと思われる。

 では新型コロナの感染によって今後想定される人的損失を金銭的に評価するとどれぐらいなのか。

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