昭和天皇の87年

ゆがめられた沖縄の祖国愛 皇太子の誠意が県民の心に響いた

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

第236回 祖国復帰(2)

 沖縄の本土復帰から3年後、昭和50年の春頃、昭和天皇は、宮内庁長官の宇佐美毅に言った。

 「アメリカに行く前に、沖縄に行けないか」-

 46年秋の欧州歴訪後、「次はアメリカに」というラブコールが米政界などから寄せられ、日米外交当局の懸案事項となっていた。しかし昭和天皇は、訪米に勝るとも劣らぬほど、沖縄訪問に熱い思いをよせていたのだ。昭和天皇の意思を宇佐美から伝え聞いた沖縄県知事の屋良朝苗は、日記に「陛下の御気持ちもうかがって胸がいたむ」とつづっている。

 当時の沖縄は、昭和天皇が訪問できる状況ではなかった。首相の佐藤栄作が「核抜き・本土並み」の返還を実現したものの(※1)、米軍基地が残されたため左派が反発。本土の極左活動家らも次々と沖縄入りし、テロの恐れが高かったからである。