昭和天皇の87年

国防めぐる天皇発言の波紋 「もう張りぼてにでも…」

画=井田智康
画=井田智康

第242回 晩年(2)

 日本国憲法により、政治の表舞台からは遠ざかった昭和天皇だが、官僚らの進講や閣僚らの内奏を受け、晩年になっても国内外の情勢に明るかった。

 昭和55年1月14日、昭和天皇は《侍従職御用掛天羽民雄(外務省情報文化局長)より国際情勢についての定例進講をお聴きになる。以後、この年の定例進講は、皇居あるいは那須御用邸において、月に一、二回の割合で計二十回行われる。進講内容は、アフガニスタン内戦へのソビエト連邦介入問題、オリンピックモスクワ大会への日本不参加、イラン・イラク戦争などに及ぶ》(昭和天皇実録56巻5~6頁)

 記憶力に優れた昭和天皇の、分析力や直感力は鋭い。アフガン内戦を進講した天羽に「ソ連は結局(アフガンを)とってしまうハラなんだろう」と話し、その意図を見抜いている。1982(昭和57)年のフォークランド紛争でも、当時の外務省情報文化局長に「(英首相の)サッチャーは軍艦をだすか」と尋ね、早くから軍事衝突を予見していた(※1)。