
北方四島(択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島)を次々と監視下に置いたソ連は昭和21(1946)年2月、自国憲法を適用して自国領に編入したと主張し、実効支配をさらに進めた。
北方四島には終戦時、計1万7291人(3124世帯)の島民が暮らしていた=注釈。多くは水産業で生計を立てており、昭和14~16年の3年間の平均水揚げ高は約5600万貫(21万トン)、当時の金額で約5200万円に上った。北海道全域の23%を占めていた。
北方四島(択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島)を次々と監視下に置いたソ連は昭和21(1946)年2月、自国憲法を適用して自国領に編入したと主張し、実効支配をさらに進めた。
北方四島には終戦時、計1万7291人(3124世帯)の島民が暮らしていた=注釈。多くは水産業で生計を立てており、昭和14~16年の3年間の平均水揚げ高は約5600万貫(21万トン)、当時の金額で約5200万円に上った。北海道全域の23%を占めていた。