孤高の国母

(7)皇太子妃の最有力候補? 雪の精のような少女あらわる

 以下は昭和天皇の母、貞明皇后の史実に基づく物語である。

 生後7日目で農家へ里子に出され、4歳の秋に公爵家の九条道孝邸に戻された節子姫(貞明皇后)が6歳の頃、同年代の皇族子女らとともに明治天皇の第6皇女・昌子内親王、第7皇女・房子内親王の遊び相手に選ばれたことは前回書いた。その時の、秘められた目的について、「明治天皇紀」はこう書く。

 《皇太子妃選定の事は夙(つと)に叡慮(えいりょ=天皇のお気持ち)を労したまふ所にして、(中略)明治二十四年頃始て内旨を侍従長侯爵徳大寺実則に下し、月中数回日を定めて皇族及び公爵の女(むすめ)の皇太子の配たるに適する年齢の者を高輪御殿に会し、昌子内親王・房子内親王の遊嬉の侶伴たらしめ、御養育主任伯爵佐佐木高行をして是(こ)れ等(ら)女児の容姿性行を審察せしめたまふ》

 貞明皇后実録によれば、昌子、房子両内親王の遊び相手として、節子姫らが最初に参殿したのは明治24年4月3日、場所は「赤坂離宮」とある。両内親王が新築の高輪御殿に移居するのは同年6月だから、それまでは赤坂離宮が遊び場所だったのだろう。

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