孤高の国母

(8)皇太子妃選考秘話 節子姫は候補から外された!

英照皇太后(荒木寛畝作の肖像画、宮内庁所蔵)
英照皇太后(荒木寛畝作の肖像画、宮内庁所蔵)

 前回から続く。

 明治25年3月、東京・紀尾井町の伏見宮邸に皇太子妃候補の子女を集め、選考したいとする宮中高官の進言に対し、明治天皇は言った。

 「いまはまだ、伏見宮家の禎子(さちこ)女王を皇太子妃と決めたわけではない。小松宮彰仁親王は久邇宮(くにのみや)家の女王を養女とし、皇太子妃にしたいと内々に申し立てているようだ。九条家からも女官を通じて申し出があり、三条、岩倉両家の子女も大勲功ある人の娘や孫だから皇太子妃にふさわしいと内々に申し立てていると聞く。(こうした子女を)伏見宮邸に集めれば、必ず種々の故障を生じる…」

 皇太子妃選考をめぐり、皇族や華族からの自薦、他薦の動きが活発化する中、決定前に禎子女王を優遇すれば面倒なことになると、明治天皇は憂慮したのだ。

 九条家も動いていた。

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