竹島で漁へ決死の極秘計画、巡視船5隻が守った漁師11人

竹島で採取したワカメと記念撮影に納まる久見漁協の脇田敏組合長(左)ら(島根県竹島資料室提供)
竹島で採取したワカメと記念撮影に納まる久見漁協の脇田敏組合長(左)ら(島根県竹島資料室提供)

 日本固有の領土であるにもかかわらず韓国による不法占拠が続く島根県沖の竹島(同県隠岐の島町)。周辺海域では昭和29年5月、漁業実績を残すため、久見漁協(同町)の漁師11人が巡視船5隻に守られながら漁を行った。韓国側に情報が漏れるのを防ぐため、地元住民にも極秘の計画だった。港近くの事務所での留守番役を担った元農協職員の八幡和憲さん(90)は、当時の緊迫した様子を今も昨日のことのように覚えている。

生活に根差した島

 隠岐の島町北西端の久見地区。漁師たちは戦前まで日常的に竹島周辺で漁をしていた。八幡さんは竹島と関わりの深いこの地区で生まれ育った。

 竹島周辺での漁は先の大戦で中断したが、漁師は再開できると信じていた。地元の漁師から豊かな竹島の海の様子を聞いていた八幡さんも「いつか行ってみたいと思っていた」。

 昭和初期、地区の川では竹島で生け捕りにしたアシカの赤ちゃんが動物園などに売られる前に飼育されていた。八幡さんは学校から帰ると、ゴズ(ハゼ)などの魚を与えて遊んでいたという。

 「『ウォ、ウォ』と鳴いて喜ぶのが面白かった。大人から『危ないからやめ』とよく怒られた」

 しかし戦後、その状況は一変する。竹島の日本保持が確定したサンフランシスコ講和条約が発効する3カ月前の27(1952)年1月、韓国は竹島を自国領と主張する「李承晩ライン」を一方的に設定した。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください