孤高の国母

(9)米人教師が絶賛、日本の女子教育を支えた明治の皇后

 以下は昭和天皇の母、貞明皇后の史実に基づく物語である。

 嘉仁皇太子(大正天皇)のお妃候補に節子姫(貞明皇后)を含む10人がリストアップされ、1年余りに及ぶ選考の結果、伏見宮禎子(さちこ)女王に白羽の矢が立ったのは明治26年5月である。このとき、節子姫は8歳11カ月。翌月に満9歳となり、翌々月の7月18日、《華族女学校初等小学科第一級の課程を修了あらせらる。尚是より更に同校高等小学科第三級(※1)に進みたまふ》(貞明皇后実録1巻6頁)

 そもそも節子姫は、自身が皇太子妃候補だったことも、選考から外されたことも知らない。それより今は、華族女学校の新学級に溶け込むことに精いっぱいだっただろう。

 女子学習院(現学習院女子中・高等科)の前身である華族女学校は明治18年、美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)の意向で創設された官立の教育機関だ。同校の通則にも「本校は皇后宮の令旨に依りて建設し宮内省の所管とす」と明記されている。

 日本の女子教育の発展は、美子皇后を抜きにしては語れない。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください