孤高の国母

(13)皇太子妃の内定解消! 運命の歯車が動き出した

 以下は昭和天皇の母、貞明皇后の史実に基づく物語である。

 明治天皇の嫡母である英照皇太后(※1)は九条家出身で、節子姫(貞明皇后)の伯母にあたることはすでに書いた。健康的でのびのびとした節子姫を愛し、皇太子妃にしたいとの内意を秘めていたとも伝えられるが、その日を見ることはなかった。

 明治30年1月13日《去る十一日皇太后崩御あらせらる。仍(よ)りて(節子姫は)本日正午過(すぎ)兄九条良政等と倶(とも)に青山御所に参殿して故皇太后の霊柩に御拝あらせらる》(貞明皇后実録1巻8頁)

 当時、節子姫は華族女学校初等中学科第三級(中学1年)の12歳。同月19日と30日にも《青山御所に参殿して故皇太后の霊柩に御拝あらせらる》(同巻9頁)。

 悲しみは尽きなかっただろう。無遅刻無欠席だった学校も、このときは休んでいる(※2)。