孤高の国母

(17)ふるいにかけられる皇太子妃候補 最後に残ったのは…

 以下は昭和天皇の母、貞明皇后の史実に基づく物語である。

 明治32年の3月末頃、白紙に戻された皇太子妃選考をめぐり、宮中で開かれた極秘の会合-。宮中高官らが華族女学校学監の下田歌子に、肺病の疑いがもたれた伏見宮禎子(さちこ)女王にかわる候補者の性格などを次々に聞く中で、節子姫(貞明皇后)の名前が急浮上したところまでは前回書いた。

 宮中での選考は、いよいよ最終局面を迎える。

 4月8日、前宮相の土方久元が、内親王養育主任の佐佐木高行を訪ねてきた。

 かつて選考に深く関わり、禎子女王を強く推した佐佐木に、内定解消を伝えるためである。

 「皇太子妃候補は禎子女王を第一と考え、かねがね相談もしてきたが、何分肺の病疾があり、伏見宮にお断り申上げたところだ。お気の毒であり、はなはだ遺憾なことである」

 その頃には佐佐木も、あきらめていたのだろう。

 「確かに遺憾だが、病症ということならいたしかたない。それで、かわりの候補はどうなのか」と聞いた。

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