孤高の国母

(19)皇太子がほかの女性に!? 宮中に飛び交う心ない噂

20代前半の禎子女王。肺病の疑いがあるとして皇太子妃の内定が取り消されたが、節子姫より長命で、昭和41年に80歳で死去した。ただし子には恵まれなかった=明治40~43年撮影(高知県立高知城歴史博物館所蔵)
20代前半の禎子女王。肺病の疑いがあるとして皇太子妃の内定が取り消されたが、節子姫より長命で、昭和41年に80歳で死去した。ただし子には恵まれなかった=明治40~43年撮影(高知県立高知城歴史博物館所蔵)

 以下は昭和天皇の母、貞明皇后の史実に基づく物語である。

 嘉仁皇太子(大正天皇)の健康不安を背景に、二転三転した皇太子妃選考は、「体質の丈夫と申す一点にて」節子姫(貞明皇后)と決まった。

 貞明皇后実録が書く。

 明治32年8月21日《天皇、九条節子を皇太子嘉仁親王の妃に内定あらせらる。仍(よ)りて本日侍従長侯爵徳大寺実則内旨を奉じて九条公爵邸に到り、九条節子を皇太子の妃に内定あらせられたる旨を其の父公爵九条道孝に伝ふ。尋(つ)いで道孝参内し、実則を経て内旨を御請し奉る旨を言上す》(1巻11頁)

 ここにいたるまで、明治天皇が悩みに悩んだのは言うまでもない。明治天皇紀には《天皇既に衆説に聴きて事を決したまへりと雖(いえど)も、宸衷(しんちゅう)猶(なお)慊焉(けんえん)たるものあり》と記されている。

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