孤高の国母

(20)皇太子妃内定で生活激変 親兄弟も臣下の礼

 明治32年9月、華族女学校高等中学科第三級(高校1年)の新学期が始まった。だが、活発で人気者だった節子姫が、教室に姿を見せることはなかった。

 皇太子妃になる準備として、華族女学校を退学したのだ。

 異例の展開で皇太子妃に内定したことに、誰より驚いたのは父の九条道孝だろう。道孝は節子姫を「何処か田舎の豪家にでもお嫁にやるつもり」と言っていたぐらいだ。それまで“平民的”に育てており、いわゆる“お嬢様”教育には力を入れていない。

 そこで道孝は節子姫に、特別の家庭教育を受けさせることにしたのである。

 一方、節子姫は喜びより、戸惑いのほうが大きかったのではないか。同級の鍋島清子によれば、内定を解消された伏見宮禎子女王のことを気遣い、「禎宮さん(禎子女王)に済まぬと言つて大変むづかられた」という。

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