孤高の国母

(24)我を忘れた群衆が、皇太子の馬車の行く手をふさいだ

 明治33年5月10日、帝都は快晴-。

 結婚を遂げ、宮殿の外に出た嘉仁皇太子と節子妃を、穏やかな陽光が照らす。

 午前の賢所御前の儀、朝見の儀、午後の供膳の儀、夜の饗宴(きょうえん)の儀-と続く一連の儀式で、最大の見せ場は午前の儀式後、皇居をいったん離れ、青山の仮東宮御所に戻る際に行われる、第一公式鹵薄(ろぼ)でのパレードだ(※1)。

 この日のために新調された馬車は4頭引きの特注品。溜塗(ためぬり)のあずき色で、車輪と御者台は赤く塗られ、中央には金色に輝く菊の紋章。両側に大きな窓が3つずつあり、遠くからでも中をうかがえる構造だった。

 テレビもラジオもない時代、皇居内の儀式を国民が目にすることはできない。しかしパレードでは、直接2人を祝福できる。鹵薄の予定時間と道順は新聞各紙が事前に詳しく報じており、皇居から仮東宮御所までの沿道は、朝から数十万人の群衆で埋めつくされた。

 午前11時、いよいよ鹵薄の出発だ。