孤高の国母

(29)宮中の不思議 「お清」と「お次」の違いとは…

柳原愛子 写真提供:丸木眞二・福井県立歴史博物館(『皇族元勲と明治人のアルバム』吉川弘文館刊 より転載)
柳原愛子 写真提供:丸木眞二・福井県立歴史博物館(『皇族元勲と明治人のアルバム』吉川弘文館刊 より転載)

 「結婚の翌日から泣いて暮した」「九条家の娘として臣下に嫁いでゐたら私はもつと幸福だつたかも知れない」-

 節子妃(貞明皇后)が後年、皇太子妃になったばかりの頃を振り返り、侍医や女官らに漏らしたとされる言葉だ。

 その理由を侍医の山川一郎は、「強い御性格が容易に宮廷の風習に融和出来なかつたことにもよる」と推測する。

 「(節子妃の)御聡明と強い御気性をもつてしては、尊貴な御身分や宮廷内の数多い因習制約の中で暮されるよりも、むしろ一般家庭の主婦となられた方が却つて御幸福であつたかもわかりません」

 結婚当初、華族女学校で「おてんば流」にふるまっていた節子妃が、宮中の複雑なしきたりや特異な慣習に馴染めなかったのは確かだろう。

 中でも節子妃を戸惑わせたのは、「お清(きよ)」と「お次(つぎ)」ではなかったか。

 神事と結びつきの深い宮中生活では、清浄なもの=「お清」と、そうでないもの=「お次」の区別が厳格だった。身体でいえば上半身がお清、下半身がお次である。帽子や上着はお清、靴下などはお次で、決して同じ手で触ってはならない。

 天皇や皇后の身の回りの世話でも、お清を扱うのは典侍(てんじ)や内侍(ないし)など上位の女官で、お次は命婦(みょうぶ)など下位の女官だ。