三島由紀夫の遺言 決起から50年

(下)国体は天皇 描いた憲法像

 現行憲法にはこの国体の明徴化がなされていない

 昭和45年11月25日、陸自市ケ谷駐屯地(東京都新宿区)で自刃した作家、三島由紀夫は、日本国憲法を改正し、自衛隊を国軍とする道を模索した。そして、現行憲法は戦後の「偽善」の根源であり、日本の歴史・伝統・文化を骨抜きにしてしまったとして、警鐘を鳴らすために自らの腹を切った。

 ◆日本の混迷の要因

 三島が描いた憲法像はどんなものだったのか。

 三島は自ら結成した民間防衛組織「楯(たて)の會(かい)」に44年12月、「憲法研究会」を立ち上げた。『新憲法に於(お)ける「日本」の缺落(けつらく)』と題した8千字に及ぶ討議のたたき台を示し、翌年5月13日の第1回研究会でそれを基に議論を始めた。