孤高の国母

(31)「冷ややかな女神」? 欧米人を魅了した明治の皇后

美子皇后(昭憲皇太后)=宮内庁所蔵
美子皇后(昭憲皇太后)=宮内庁所蔵

 親日家で知られる米国人の女性地理学者、エリザ・シドモアは明治18年、赤坂離宮の観菊会に招かれて美子皇后(昭憲皇太后)を間近に見たときの感激を、こうつづっている。

 「この小柄な女性の品位と威厳は、鮮烈な印象を与えます。全員うやうやしく低頭し、陛下が傍を通るとみなのまなざしは、好奇心から敬慕と感嘆の念に変わります」

 それから15年後の明治33年、美子皇后は、宮中の厳格なしきたりに馴染めないでいた節子妃(貞明皇后)を誘い、小石川植物園などを一緒に散策した。その時の様子は前回書いた通りだ。節子妃の「敬慕と感嘆」は、どれほど大きかったことか-。

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 美子皇后について、もう少し触れておこう。生まれは嘉永2(1849)年、節子妃と同じ五摂家(※1)の一つ、一条家の出身で、幕末に左大臣を務めた一条忠香の三女である。

 幼少から古今和歌集に親しみ、漢学、和学、箏曲などの英才教育を受けたほか、忠香が子女のためにつくった「物見の台」にのぼって庶民の生活ぶりを観察し、その労苦を学んだとされる。