孤高の国母

(32)皇太子の前にあらわれた「洋装」の美女 新婚早々暗雲が…

洋装の梨本宮妃伊都子=鍋島伊都子(公益財団法人鍋島報效会所蔵)
洋装の梨本宮妃伊都子=鍋島伊都子(公益財団法人鍋島報效会所蔵)

 それは、ささいなことが発端だった-。

 明治33年7月25日、節子妃(貞明皇后)は嘉仁皇太子(大正天皇)とともに栃木県の日光田母沢御用邸へ行啓し、避暑として9月中旬まで滞在することとなった。いわば結婚して初めて迎える“夏休み”。自然に囲まれ、夫婦でのんびり過ごせることに、節子妃の胸は高鳴ったことだろう。

 ところが出発の朝、節子妃の顔はこわばっていた。その前日、嘉仁皇太子と喧嘩(けんか)してしまったのだ。

 原因は、着ていく服である。

 嘉仁皇太子は、内親王養育主任の佐佐木高行からも「西洋御好の傾き甚敷(はなはだしく)兎角(とかく)御軽々」と苦言されるほど、洋風好みだった。日本酒よりワイン、和装より洋装が好きで、行啓にあたり節子妃に「西洋貴婦人の旅行服」を着せようとする。

 一方、質素に育った節子妃は、おしゃれな旅行服など持っていない。それでも皇太子は着ろという。節子妃は、とうとう泣き出してしまった。

 行啓直前の夫婦喧嘩-。青山御所は大騒ぎである。