闘将が甲子園を阻まれた地 歴史の変遷経て国史跡の城跡へ

「海に臨む天空の城」と呼ばれる米子城跡は、米子市きっての景勝地だ(鳥取県米子市提供)
「海に臨む天空の城」と呼ばれる米子城跡は、米子市きっての景勝地だ(鳥取県米子市提供)

 “闘将”と呼ばれプロ野球の選手、監督として活躍した星野仙一さんが倉敷商時代に甲子園出場の夢を砕かれるなど数々の野球ドラマの舞台となった「米子市営湊山球場」跡(鳥取県米子市)が国史跡に追加指定されることが決まった。球場跡がある場所はかつての米子城三の丸で、米子城跡の一部としての登録だ。同地は明治・大正期には監獄として利用されたこともあった。城から監獄、そして球場-。数奇な歴史を刻んだ地は約150年の歳月を経て再び城へと回帰する。

「燃える男」湊山に散る

 「ありがとう湊山球場」。一部が取り壊され、駐車場設置工事が始まった同球場の壁面には大きな横断幕が掲げられている。横断幕の近くにはグラウンドへの入り口となる土をくりぬいたトンネルがあった。球場の開場は昭和28年6月1日。28、29の両年にはプロ野球公式戦5試合が行われ、400勝投手の金田正一、プロ野球黎明期(れいめいき)の大投手、スタルヒンらがこのトンネルをくぐった。