
世継ぎの御子(みこ)は、生まれてすぐに別室に運ばれ、産湯につかって泣き声を上げた。
「親王さまです」
小さな身体を女官が抱き上げ、侍医がのけぞり万歳を叫ぶ。急ぎ参殿した宮中高官らも代わる代わる男子であることを確認し、歓声がわき起こった。
御子は、その部屋の一段高くなったところに敷かれた、白羽二重の布団に寝かせられ、ひときわ大きな泣き声を上げた。
明治34年4月29日午後10時10分。万世を一系につなぐ皇孫男子、のちの昭和天皇の誕生である。
生命のありったけを込めて泣く声は、ふすまを隔てた産室に横たわる、節子妃(貞明皇后)の胸を震わせた。産気づいて3時間あまり。当時の新聞はこぞって「御安産」だったと報じている(※1)。
だが、その時の節子妃の、喜びの表情を伝える文献は意外に少ない。貞明皇后実録も淡々と事実を伝えるのみだ。