孤高の国母

(42)明治天皇と昭和天皇 涙の皇太子妃を勇気づけたのは…

葉山御用邸の塀の石垣=神奈川県葉山町(酒巻俊介撮影)
葉山御用邸の塀の石垣=神奈川県葉山町(酒巻俊介撮影)

 明治34年12月16日《客月来(節子妃に)御妊娠の兆あり、侍医をして屡々(しばしば)拝診せしめられしが、本日重ねて東宮拝診御用男爵橋本綱常・侍医局長岡玄卿等をして診察せしめたまふ。乃(すなわ)ち綱常等御妊娠の旨を上申す》(貞明皇后実録2巻52頁)

 裕仁親王の誕生から1年も経たずにもたらされた吉報-。だが節子妃は、初産の時よりナーバスになっていた。

 それより1カ月ほど前、6歳年長の姉で山階宮菊麿王に嫁いだ範子妃が、第三子を出産したのち薨去(こうきょ)したからだ。

 山階宮家の文献によれば、利発で「はれはれしくお賑(にぎ)やか」な姉だった。菊麿王との間に2人の男子をもうけ、この年の10月31日に女児を出産。ところが胎盤離脱困難で出血し、高熱が続いた後の11月11日早朝、22歳で帰らぬ人となった。

 節子妃は皇太子妃に内定後、宮中へ入る心構えを聞こうとしたのか、範子妃を何度も訪ねている。結婚後もお互いに行き来し、女官らの批判に悩む中で唯一頼れる肉親だった。