孤高の国母

(44)強かった日本軍 皇室も戦時体制に

日露戦争でロシア軍の旅順要塞に打撃を与えた日本の二十八珊(サンチ)榴弾砲=1904年(明治37)年
日露戦争でロシア軍の旅順要塞に打撃を与えた日本の二十八珊(サンチ)榴弾砲=1904年(明治37)年

 原因は、ロシアの南下政策である。

 明治27~28年の日清戦争後、ロシアは弱体化した清(中国)につけ込み、満州を支配下におさめ、さらに南下して大韓帝国への影響力を強めた。

 朝鮮半島がロシアの手に落ちれば日本の独立はおぼつかない。節子妃が第三子を流産した36年8月、伊藤博文ら政府高官は満韓交換論(※1)を提起して戦争回避に努めるも、ロシアに一蹴され、開戦やむなしの声が朝野にみなぎった。

 そして始まったのが、国家の命運をかけた日露戦争だ。37年2月10日、日本はロシアに宣戦布告した。

 当時、世界最強の陸軍国といわれたロシアの国力は日本のおよそ10倍。しかもそれまで、近代戦で有色人種の国家が白人国家に独力で勝利した例はない。

 だが、日本軍は強かった。