「日本3大水攻め」の城跡にみる秀吉軍ハイレベル土木技術

 戦国時代、豊臣秀吉の紀州平定に抵抗した地元勢力が立て籠もったとされる太田城(和歌山市)。市の発掘調査の結果、この跡地周辺にある土堤が人工的に築造されたことが裏付けられた。水攻めのために突貫工事で築造したと推測され、専門家は「豊臣秀吉軍が土木技術に熟練していたことがうかがえる」としている。(西家尚彦)

江戸時代のものとみられる「惣光寺由来并(ならびに)太田城水責図」(和歌山市提供)。太田城を攻める様子が描かれている
江戸時代のものとみられる「惣光寺由来并(ならびに)太田城水責図」(和歌山市提供)。太田城を攻める様子が描かれている

 太田城は、現在のJR和歌山駅東側周辺にあったとされる。これまでの市の調査で、東西約450メートル、南北約350メートルの中世の集落とみられ、防御機能のため周囲を水堀(推定幅10メートル、深さ2~3メートル)で城塞化していたとされる。