孤高の国母

(45)ドイツ人医師が絶賛「皇太子一家は本当に幸福」

静岡県の沼津御用邸で嘉仁皇太子(右端)と手をつなぐ裕仁親王。その隣は雍仁親王=明治37年頃
静岡県の沼津御用邸で嘉仁皇太子(右端)と手をつなぐ裕仁親王。その隣は雍仁親王=明治37年頃

 国家の命運をかけた日露戦争が勃発し、節子妃(貞明皇后)が宣仁親王(高松宮)を出産するまでの間、離れて暮らす裕仁親王(昭和天皇)と雍仁親王(秩父宮)の環境も、大きく変わろうとしていた。

 明治37年8月12日、養育担当の枢密顧問官、川村純義が死去したのだ。裕仁親王3歳、雍仁親王2歳の夏である。

 わずかとはいえ、幼少期を実直な川村の手で育てられたことは、両親王にとって幸いだっただろう。川村は、両親王のわがまま気ままを許さず、次女の花子によれば「父は何かにつけて誠心の余り、随分無遠慮に、(両親王に対して)ご注意申し上げていました」という。

 一方で川村は、「人君たるものは御親子の愛情、御兄弟の友情、皆臣民の模範たらざるべからず」として、家族愛を育むことも忘れていなかった。それは裕仁親王の性格に、着実に実を結んでいる。