孤高の国母

(46)日露戦争で大勝利 皇太子が歌に込めた思いは…

すくすくと育つ雍仁親王、宣仁親王、裕仁親王(左から)=宮内庁所蔵
すくすくと育つ雍仁親王、宣仁親王、裕仁親王(左から)=宮内庁所蔵

 「皇孫御殿は東宮御所と庭つゞきでしたから、御両親殿下は御散歩の度にお立寄りになつて、宮様方の御様子を御覧になつてゐられました…」

 裕仁親王と雍仁(やすひと)親王が皇孫仮御殿に移居して間もない明治38年5月、両親王の保母として雇われた鈴木孝子が、当時の様子をこう述懐する。

 「…お立寄りの時は宮様方は口々に『おもうさま(お父様)』『おたたさま(お母様)』とお呼びして駆け寄られ、御手にすがりついてお迎へになるといふ有様で、このやうな情景は普通の家庭と全く異らないことでした」

 やがて宣仁親王も皇孫仮御殿に移ると、週2回、水曜日の夜は嘉仁皇太子と節子妃が御殿を訪れ、土曜日の夜は3親王が青山御所にやってきて、家族で食卓を囲むようになった。