孤高の国母

(47)母は「老女の身分」…皇太子妃の親孝行

明治天皇の生母、中山慶子
明治天皇の生母、中山慶子

 日露戦争の余韻が冷めない明治39年1月3日、突然の悲しみが節子妃(貞明皇后)を襲う。宣仁親王(高松宮)の満1歳の誕生日だったこの日、父の九条道孝が急死したのだ。

 貞明皇后実録には、危篤の知らせを受けた節子妃が《午後五時十五分御出門、其(そ)の邸に行啓あり、親しく御見舞あらせられ、六時頃還啓したまふ》(7巻3頁)とあるが、道孝はすでに息を引き取っており、臨終には間に合わなかった(※1)。

 厳格であり、幼少期にはほとんど顔を合わせなかった父である。しかし皇太子妃となった節子妃を陰で支え、励ましてくれた父でもあった。

 享年六十六-。

 白布をかけられた父の前に端座し、節子妃は静かに涙を落とした。

 道孝は同月12日、京都の東福寺に埋葬された。鎌倉時代の摂政、九条道家が建立した九条家の菩提寺(ぼだいじ)である。埋葬に伴い、節子妃の生母の野間幾子も、京都に移居して隠棲することになった。