孤高の国母

(48)外国人を魅了 観菊会で皇室外交デビュー

観菊会の立食所で招待客を迎える準備をする宮内省職員ら=大正14年11月、東京・新宿御苑(宮内庁宮内公文書館所蔵)
観菊会の立食所で招待客を迎える準備をする宮内省職員ら=大正14年11月、東京・新宿御苑(宮内庁宮内公文書館所蔵)

 明治40年11月19日《皇太子並に妃、天皇皇后の御名代として観菊会に臨みたまふ》(「貞明皇后実録」8巻51頁)

 園遊会の前身である観菊会は、英王室のガーデンパーティーに倣って明治13年秋にはじまった、天皇および皇后が主催する立食形式の宴である。元老、元帥、首相や各大臣、各国大公使らが夫婦で招待され、14年春から開催の観桜会とともに、皇室による社交や外交の場として機能した(※1)。

 美しい庭園で、日本の伝統美である菊花を観賞しながら、天皇と皇后に会える観菊会が外国人に与える印象は鮮烈だ。

 例えば明治18年の宴に招かれた仏海軍士官の作家、ピエール・ロティは、それまでの侮蔑的な日本観を改め、帰国後に観菊会の様子をパリの新聞紙上などに発表。その存在が広く海外に知られるようになった。

 節子妃が初めて観菊会に参加したのは明治35年。その時は終始、美子皇后(昭憲皇太后)に付き従っていればよかった。

 だが、この日は違う。

 明治天皇が茨城県に行啓中だったうえ、美子皇后が風邪をひき、当日になって名代を言い渡されたのだ。