孤高の国母

(52)名将・乃木希典、皇太子妃の恩師を学習院から追放!

乃木希典
乃木希典

 日露戦争の英雄、乃木希典が学習院の第10代院長になったのは、裕仁親王(昭和天皇)が入学する1年余り前の明治40年1月である。

 乃木を抜擢したのは明治天皇その人だ。乃木は当初、「自分の任務ではない。恐懼(きょうく)に堪へ無い」と周囲に漏らしたが、知人に「恐れ多くも陛下が御命じになつたのは、普通の教育をしろといふ意味ではあるまい。華胄(かちゅう=名門)子弟の精神教育をしろと御命じになつたのであらう」と諭され、俄然やる気を出した。

 以後、乃木は「華美柔弱の弊に流れている」と批判されていた学習院に、質実剛健の気風を持ち込もうと奮闘する。その際、最初に実施したのが当時の女学部長、下田歌子を追放することだった。