
いかにせむ あゝいかにせむ くるしさの やるせだになき わが思ひ川
明治43年、結婚10年目を迎えた節子妃(貞明皇后)が詠んだ和歌だ。この年、こうも詠んでいる。
はてもなく 千々(ちぢ)に思ひのみだれては わが身の程も 忘れつるかな
こしかたは たヾ夢にして 行末の 空ながむれば まづなみだなり
一言一句からほとばしる、胸の痛みはどこからくるのか。
1万3千余首の和歌を収めた宮内庁書陵部編集の「貞明皇后御集」は、これらの和歌に「もの思ふころ」の小題をつけつつ、具体的な背景を記していない。節子妃自身、悩みの内容を周囲に明かさなかったのだろう。当時の心境や和歌にこめられた真意をめぐっては、歴史家らの間でも解釈が分かれている(※1)。
ただ、この年の節子妃が、健康を害するほど悩んでいたのは確かだ。貞明皇后実録によれば43年6月9日、美子皇后(昭憲皇太后)が節子妃を誘い、一緒に浜離宮を散策しているが、それは美子皇后が《妃の御体量減少の趣を聞かせられて深く之を案ぜら》れたからだった(11巻30頁)。
心を千々に乱し、日に日にやせていく節子妃-。
考えられる悩みの一つは、女官との軋轢(あつれき)である。