孤高の国母

(54)恋愛はご法度!? 摩訶不思議な女官の生活

 女官-。その生活空間は特異で、一般社会とは隔絶している。

 宮中の「奥」(※1)に出仕する女官は華族、京都士族、社寺家出身の未婚女性に限られ、一生の大半を皇居内で過ごす。外出の機会は少なく、恋愛はご法度だ。

 伝統と格式はあるものの、現代の視点でみれば非人間的ともいえよう。それが抜本的に改まるのは、昭和天皇の登場を待たなければならない。

 当時の奥の様子は、明治42年に出仕した女官、山川三千子の著書に詳しい。

 女官には、尚侍(しょうじ)を筆頭に典侍(てんじ)、権典侍(ごんのてんじ)、掌侍(しょうじ)、権掌侍、命婦(みょうぶ)、権命婦の7階級があり(※2)、その下に女嬬(にょじゅ)、権女嬬と呼ばれる判任女官、雑仕(ぞうし)や針女(しんめ)などの女中がいた。明治40年代の女官は20人余、判任女官は30人余で、女官に仕える侍女も合わせると200人余の規模になる。

 天皇や皇后の身の回りの世話をし、神事と不可分の生活だけに、何をするにもまず手を洗う。言葉遣いも独特で、『おひる』は天皇などの「お目覚め」、『御格子(みこうし)』は「おやすみ」、『おとう』は「トイレ」、『しとね』は「座布団」…。