孤高の国母

(56)皇位をつぐ自覚を…漢詩によせた妻の真心

 皇后-。その存在と役割は、ことに天皇が何らかの問題を抱えているとき、重要かつ甚大である。

 明治天皇とて、最初から絶大なカリスマがあったわけではない。西郷隆盛を慕う明治天皇は西南戦争の頃、気がふさいで政務がおろそかになり、乗馬と酒に気を紛らせることが多かった。

 憂慮した元勲の大久保利通、伊藤博文、元田永孚(ながざね)らは君臣一如のため、天皇と臣下が毎夜懇談し、週に一度は食事を共にする機会をつくった。

 その際、同席して間をとりもったのが美子皇后(昭憲皇太后)だ。ときに議論を盛り上げ、意見が対立すると調停役に回り、両者の間に、やがて盤石となる絆を築いたのである。

 節子妃もまた、未来の天皇に寄り添おうと必死だった。

 嘉仁皇太子が漢詩を好むため、自ら学んで詩作するようになったのも、その一端だろう。明治40年代の和歌には苦悩がにじむが、漢詩では君徳に関する題材が目立つ。