孤高の国母

(58)昭和天皇が書いた手紙…母宮は何度も読み返した

 明治44年の晩春、青葉が茂る葉山御用邸の一室に、病身の節子妃が、やせた体を横たえている。

 「ご機嫌よう、今日はいかがでございますか」

 女官が声をかけ、節子妃の額に冷たいおしぼりをあてた。

 「ありがとう。だいぶ楽になりました」

 「それはそれは、ご安心さま…」

 3月下旬に腸チフスに罹患し、膀胱(ぼうこう)炎と腎盂(じんう)炎を併発して高熱にうなされた。ようやく体温が下がったのは5月初旬。しかし体力の衰えが激しく、しばらく起き上がることができないでいた。

 その間、病床で節子妃はひとり、苦悩の出口を見つけようとしている。

 女官らの手厚い看病により、体力は徐々に回復した。5月31日には室内を歩けるようになり、6月9日には庭先にも出られるようになった。

 ちょうどその頃、東京から便りが届く。